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    常識的観念

    常識的観念とはこの地球で生きる大多数の人が持ち合わせているものです。

    この常識的観念がなければ世の中から疎外され、まともに相手にもされません。

    大きな事で言えば、
    「人を殺してはいけない」

    もっと掘り下げて言えば
    「人に迷惑を掛けてはいけない」
    「人の物を盗ってはいけない」

    探せばいくらでもありますが、それらが当たり前の事というのが頭の中に常識的観念として植え込まれているので中々思い付くのは難しいです。

    この何百何千とある常識的観念とは人が生まれつき持っているものだと僕は思っていました。

    しかし、全ての常識的観念を「宇宙の法則」と結び付けることが出来ませんでした。

    宇宙の法則とは=真実です。

    結び付ける事が出来なかったという事は、どこか別の所から生まれたものです。

    そうです、この社会です。

    宇宙の法則に沿った観念と、この人間社会で生まれた観念を同様の物だと認識して我々は生きています。

    人を殺してはいけないというのは確かに宇宙の法則に従った観念だと思います。

    しかし下の2つは到底そのように思うことは出来ませんでした。

    特に人の物を盗ってはいけないというのは宇宙の法則からは程遠い観念です。

    結論から言えば、宇宙の法則には所有という概念がないはずだからです。

    元々誰かの所有物という概念は無く、ありとあらゆる物、または精神が宇宙そのものでありその所有者は誰の物でもありません。

    誰の物でも無いので盗るという概念もそもそもありません。

    我々は個でありながら、全体で一つなのだと思います。

    宇宙の法則に沿った宇宙的観念よりもこの人間社会の中で植え込まれた観念の方が圧倒的に多いと感じます。

    そしてその人間社会で生まれた観念は言い換えれば戒律そのものであり、精神性、人間性の自由を奪います。

    人は常に何かに縛り付けられながら生きています。

    例えば大半の人はお金、食事など、その為には働いてお金を稼ぐ。

    何故それらが必要なのか真剣に考えたことはあるでしょうか。

    ほとんどの人がノーと言うでしょう。

    これは人間社会で植えつけられた常識的観念としてあなたの頭の中にこびり付いているからです。

    だから考えるまでも無く当たり前の事としているのでそれらについて真剣に考えることはしません。

    人は食事を摂らないと生きてはいけないというのも人間社会で学んだ観念だと思います。

    実際に食べ物も水分も摂らなくて何十年も生きている人はいます。

    しかも健康体そのものです。

    そのエネルギー源は宇宙です。

    太陽光であったり地球内の大気であったりまたは自分自身であったり。

    人間の身体とはすごいもので、足りない物は自分自身で生産し補い多すぎたものは排出するようになっています。

    では何故食事も水も摂らなくても生きていけるのに人には胃や腸が付いているのか。

    ここが大事な所なのでしょう。

    それは恐らく宇宙の意思によって付けられたものではないと思います。

    そうすると第三者の手によって付けられたものということになりますね。

    これ以上は真実はわからないので言いません。

    しかしそう考えるのが自然です。

    人の遺伝子組み換えなど容易な事でしょう。



    僕が思うのは、○○をしないと生きていけないなど、○○をしないと、ということは存在しないと思っています。

    それらは人間社会で学んだ観念であり、真実とは程遠いものです。

    万物は常に自由であるはずで苦悩も苦痛も存在するはずがないのです。

    存在する唯一の真実は愛の光だけです。

    成長するために苦悩は必要だと言う人もいます。

    しかし僕にはそうは思えません。

    何故成長するために苦悩が必要なのでしょうか。

    何故何かを得るには頑張らなくてはいけないのでしょうか。

    これも植え込まれた観念だと僕は思います。

    子供の頃よく大人に言われました。

    時には我慢も必要だとか、何かを得たかったら頑張りなさいと。

    しかし、何故そうしなければいけないのかは誰も教えてくれません。

    答えるとすれば、「そういうものだから」です。

    こうやって子供の頃からずっと教えられ、それを当たり前の教訓として生きていきます。

    僕の子供の時の話ですが、子供とは本当に純粋なもので、僕は子供の頃大人はみんな正しい人でまっとうで立派な人だと思っていました。

    そしてもし大人の言う事や友達の言う事が僕の考えと違うと、自分が間違っているんだなと思い修正しようとしました。

    しかしどうしてもそれは出来ませんでした。

    自分の考えが理解されないと始めは抵抗します。そして理解されない事に気付くと今度は合わせようとします。
    そうすると今度は疲れてそこから離れようとします。

    そこで学校社会から外れました。

    当時はそんな解釈は出来ていませんでしたが今はなんとなく分ります。

    今は自分は間違っていなかったと自負しています。

    あれから10年以上経ってそんな当時の僕のような子供たちがもっと増えて来ました。

    彼らは本当の宇宙的観念を潜在意識レベルで知っています。

    それらは真実そのものなので僕たち大人が人間社会で作ってきた観念を植え付けても彼らを苦しめるだけです。

    彼らは確かに年齢ではずっと下ですが、精神性は僕たちよりもずっと上です。

    僕たちよりももっと多くの経験を前世などで学んでいます。

    大人は何かを教えるのではなく、子供たちに教えてもらうべきです。

    この関係性がおかしいと思ったのならそれも間違った常識的観念から来るものです。

    その観念は、人には永遠の連続性はなく、肉体の死はその人自身の死であると思っているので、人生の後輩であるまだ何も知らない子供たちに教えてもらうのはおかしいといったような事です。

    しかし真実は人は永遠に連続性があり消えることはありません。肉体の死は肉体の死でありその人自身の死ではありません。

    肉体は確かに大事な物ですが、車の様なものです。

    我々は古くなったり使えなくなってしまった車を廃車にします。

    しかし車を廃車にするだけでそれを運転していた人までも廃棄するわけではありません。

    それと同じような事が人にも起きています。

    ですから肉体自体は後輩であったとしてもそれを動かしている霊魂のようなその人自身は後輩ではないかもしれません。

    少なくとも宇宙的観念を潜在意識レベルで知っていて、間違った観念だらけの社会に上手く馴染めず篭ってしまう子供は先輩です。

    まぁ基本的には後に生まれてくる子供の方が霊性は高いです。

    少し話が二転三転しましたが、伝えたいことは、

    今一度このような洗脳の末生まれた観念を、頭ではなく、柔軟な自然のままの感性で考えて改めてみてほしいと思います。

    そうしたら最後には宇宙的観念=真実しか残らなくなるはずで、もっと自然に楽しく生きていけると思います。


    それと私事ですが、4月2日に川越に映画を見に行って来ます。
    川越に行くと行っても川越に住んでいるのですぐ隣ですが。
    まだ空席があるようなので急ではありますが是非参加してみてはどうでしょうか。
    詳細はこちらです。

    「祈り〜サムシンググレートとの対話」 自主上映 in 川越スカラ座 
    <イベント詳細>

    ● 日時
    2013年4月2日(火)

    一部 13:00開場
       14:00開演

    二部 17:30開場
       18:00開演

    ● チケット
    前売り券 ¥2500
    当日券  ¥2800

    お申込はこちら

    ● 場所 
    川越スカラ座
    (埼玉県川越市元町1−1−1)



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