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    このままでは世界は変わらない

    2001年9月11日に起きてしまったアメリカ同時多発テロから、早11年半。

    この出来事が支配層の為の茶番劇であった事は、ネットなどあらゆる情報からも伺えるように真実でした。

    そしてこの出来事がきっかけで、今まで「トンデモ」(ある意味で言えば娯楽の1つ)として片付けていた事を、多くの人が「現実」として社会に疑いの目を向けるようになりました。

    これにより、3.11の地震も原発事故に対してもあまり違和感なく疑いの目を持つ人が多くいました。

    これ自体は良い事です。

    しかし、1つだけ以前と変わらない事があります。

    それは 人々の心の在り方です。

    一番変わらなくてはいけない事が何も変わっていません。

    このような出来事が事実だと知った時、未だに多くの人々は憎しみの感情を抱きます。

    例えば「こんな事をするような奴等は刑務所にぶち込め」「こんな事をするような奴等は死刑当然だ」と、この様に。

    これではテロが終わりなく繰り返される様に、終わりのない戦いになってしまいます。

    憎しみは憎しみを生みます。そこに愛は存在していません。このサイクルが続く限り、人々の心に平和は訪れません。

    そして、サムシンググレートは力を貸してくれることもないでしょう。

    こんなにも単純で分かり易い事なのに、人は気付いてくれません。

    頭で理解していても、潜在意識で理解し納得出来ていないんです。

    憎しみではなく、出来事、それらを起こした存在全てを受容し、自らの愛で包み込み癒そうとする「心の在り方」が自分自身を変え、それにより世界は変わっていきます。

    最近の多い体罰問題にも言えますが、暴力というネガティブな行為によって人は変わりません。

    体罰をした側は愛情があるから頑張って欲しいという意味で体罰をしたと言う人がいます。

    しかし、暴力という行為自体の中に愛は存在しません。

    ネガティブからポジティブは生まれないんです。




    おかしな事を言うようですが、僕は自分自身で記事を書いているようで書いていないようです。

    確かに記事を書こうとする時は、「こんな題材を書こう」など唐突に思い書き始めます。

    しかし、いつも誰かと対話しながら書いている気がするんです。内容をコロコロと変えさせようとしてくる気がしてならないんです。

    実際書いていると、ふと色々な事が湧き出てきたりします。

    また僕はよく考えている時、独り言を言ってたりします。

    声に出す時もあれば心の中でブツブツと言ってたりする時もあります。

    そしてだいたい答えがふと出てくるんです。

    最近思ったのですが、もしかしたらこれは独り言ではなくて誰かと対話しているのではないかと思いました。

    人がいるときは声に出してこのような独り言を言ったことがないので、実際に他人が聞いたらおかしな状態なのかもしれません(苦笑)

    それとこの「何か」の存在がネガティブな存在だとは到底思えません。

    そしてこの「何か」は自分自身だと思うんです。

    自分自身の魂というかなんと言うか・・・

    なので、書いている内容や、五感で感じられない何かなども、理屈とかは関係無しに僕の中で納得しているんです。納得と言うよりも、魂が初めから知っているような感覚です。

    これはどんな人にも起こる事だと思います。

    自分の人格がそれに気付けるか気付けないかだけだと思います。

    人を判断する時も大部分はこの「何か」で判断します。

    その何かがその人の波動の温かさ(愛)を感じたら信頼します。

    初めて講演会に行った時、五井野博士には温かさを感じました。

    それと、温かいと僕が感じる人は、その人の実際の身長や体格よりも不思議ととても大きく見えるんです。

    これはよくわかりませんが、オーラなのかなとも思ったりします。

    実際はオーラ込みがその人の本当の体格でしょうし。

    これらの五感ではない些細な感覚がより強くなっていくとしたら、自分の向かっている方向は間違っていないと勝手に納得しています。

    逆に弱まってきたら、それは修正が必要だし、エゴが強くなっていないかと考えるようにしています。

    自分の事をベラベラと書いてしまう記事になってしまいました。

    よく分り辛くて申し訳ありません。





    本題に戻し、最後にセスの言葉をお借りします。

    戦争を憎む世代によって平和がもたらされることはありません。平和を愛する世代によってだけ、平和はもたらされるのです。

    同じような意味に見えて、その「心の在り方」はまったく違いますね。

    この時代に生きている僕達に、今一番必要な言葉ではないでしょうか。

    今この時に、こんなにも重みのある言葉は他にないと感じます。

    これからは、受容の時代です。



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