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    「祈り〜サムシンググレートとの対話」を見に行って来ました

    昨日は、川越スカラ座に行って来ました。

    僕は第一部の方へ参加したのですが、平日で雨が結構降っていたにも関わらず満席でした。

    滝沢さんと握手出来たのも嬉しかったです。

    この映画は「祈り」と「願い」の根本的違いや、祈りのパワーは科学的に証明されつつある事や、遺伝子にはON、OFFのスイッチがあるといった内容です。

    ですが僕が感じたこの映画が本当に伝えたいとしていることは、人の心の在り方ではないかと思います。

    我々は困ったときや助けが欲しいとき、無意識的に、または明確に願望を抱きます。

    例えば大きな事で言えば、自分は重い病気だから治して欲しいと願いを掛ける。

    小さな事で言えば宝くじが当たるようにとか、受験が合格しますようになど。

    この願いの向かう対象は偉大なる何かの存在(サムシンググレート)です。

    しかし、これは願望であり祈りとはその性質がまったく異なります。

    簡単に言えば願望とはエゴの占める部分が多いです。

    そしてその多くの願いの対象は自分にとって有益である場合が多いです。

    祈りというものは、エゴではなく前提に感謝があります。

    祈りとは願望(受身の精神)ではなく与える精神です。

    感謝をするという行いは与える精神なのでそのお返しのなようなものとして良いことが返って来るのです。

    これもカルマの法則ですね。因果応報。

    祈りとは感謝で願いとはエゴです。

    そして感謝のない願望はどこにも届くことはありません。

    我々はいつしか個、身内の事ばかりに有益を求めるようになり、仮にそれら以外に対して有益な願望を抱いていたとしても、それは二の次で順位で言えば「身内→その他」となってしまっています。

    しかしそれでは何の効果もありません。

    これはスピリチュアル的な視点だけで駄目ですよと言っているのではなく、科学の分野においても実験によってこれらが実証されてきています。

    このような実験や遺伝子のON、OFFなどについては是非映画をご覧になってください。

    最近の世の中は目に見えない事柄がテクノロジーによって五感でも感じ取れるようになってきました。

    不思議なもので、人は時に願いといったような目に見えない形の行為をとりますが、多くの人はなぜか目に見えない事は信じません。

    この矛盾は相当におかしなものです。

    人は潜在意識的にはこれらの見えない力の作用を信じているし存在を知ってはいるのだと思います。

    しかしそれを時に否定してしまうのは、やはり以前の記事で書いた常識的観念が頭に刷り込まれているからだと思います。

    またこのような映画を見た時、刷り込まれた観念とは反対の物事を見たり聞いたりした時、その現象や存在には納得するのになぜか「特別な事」として頭で処理し片付けてしまいます。

    そしてまたいつもの常識的観念を軸に日々生活をしています。

    これは五井野博士の講演会などでも言えることで、博士がおっしゃったことに納得しそれを理解したとしても、やはり日々の考え方には反映させず、次の日にはまるで無かった事のように振舞います。

    これらは全て真実であるはずなのに「特別な事」として片付けてしまう人間の現象は異常であり大変恐ろしいことでもあると僕は思います。

    もう一つ言えば、講演会などに参加したり、そのような難しい事を考えた時点で精神的満足をしてしまう事です。

    この二つに共通して言える事は当事者意識の欠如だと思います。

    言い換えれば常に傍観的という事になります。

    「特別な事」として片付けてしまう現象は当事者意識が無いから起こります。

    そして当事者意識が欠如するのは常識的観念がそれらの存在を否定するからです。

    それによって常に無意識に傍観的になっているのです。

    傍観とは精神的傲慢さだと僕は思います。

    この当事者意識を持つということは何よりも大変な作業です。

    持とうと心に思ってもそれは出来ません。

    唯一の方法はやはりこの常識的観念(頭のシステム)を根本から変えていく必要があると思います。

    むしろそれ自体が大変難しいですが・・・

    一番の近道は論点がズレていると感じるかもしれませんが、「自然」に触れることです。

    自然とは宇宙の意思がそのまま反映されている言わば真理がそこにはあります。

    反対に一番良くないのは常識的観念の創造主である、今のこの社会システムの中で今まで通り生活することです。

    特にシステムの中枢である都会はよくありません。

    毒を以って毒を制すでは無く、毒から一度離れ真理の中で生活することが一番の近道だと思います。

    要は常識的な場所や物から離れましょうと言う事です。

    確かに今住んでいる場所から急に移動するのは難しいと思います。

    しかし住む場所以外にも真理に触れる方法はたくさんあります。

    五井野博士も色々な所へ出張し講演をしてくれますし、真理を書いている本などもたくさんあります。

    この間紹介したツイッターの「アミの言葉」を読むことも真理に触れることになります。

    他にも「天下泰平」さんや「zeranium」さんの所で素晴らしい記事がたくさんあります。

    このように真理に触れることは一番大事な事ですが、一つだけ気をつけて欲しいことがあります。

    色々知り、それらにある程度精通した時、人は時に傲慢になります。

    これは精神的傲慢さで何にでも言えますが慣れた頃が一番危険です。

    これとセットでついてくるのが精神的満足です。

    何故このような現象が起きるかは、知識だけを詰め込み本当の真理を理解していないからです。

    そしてこの傲慢さや満足はまた傍観的意識を生みます。

    万物は平等です。

    平等という真理を理解する事が出来れば傲慢さは無くなります。

    知っていることは偉い事ではありません。

    出来る事は偉い事ではありません。

    偉いというのは何かと比較をした時に出てくる概念です。

    しかし平等という本来の意味は、一人一人がオンリーワンという事です。

    真理がわかったとき比較という概念は思考から無くなるでしょう。

    その時初めて傲慢さが無くなると思います。

    気付けばだいぶ長くなってしまいしました。
    ですが今回書いた事は、自分で言うのも何ですが誰にでも陥る可能性のある非常に大事な事ではないかと思います。


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    常識的観念

    常識的観念とはこの地球で生きる大多数の人が持ち合わせているものです。

    この常識的観念がなければ世の中から疎外され、まともに相手にもされません。

    大きな事で言えば、
    「人を殺してはいけない」

    もっと掘り下げて言えば
    「人に迷惑を掛けてはいけない」
    「人の物を盗ってはいけない」

    探せばいくらでもありますが、それらが当たり前の事というのが頭の中に常識的観念として植え込まれているので中々思い付くのは難しいです。

    この何百何千とある常識的観念とは人が生まれつき持っているものだと僕は思っていました。

    しかし、全ての常識的観念を「宇宙の法則」と結び付けることが出来ませんでした。

    宇宙の法則とは=真実です。

    結び付ける事が出来なかったという事は、どこか別の所から生まれたものです。

    そうです、この社会です。

    宇宙の法則に沿った観念と、この人間社会で生まれた観念を同様の物だと認識して我々は生きています。

    人を殺してはいけないというのは確かに宇宙の法則に従った観念だと思います。

    しかし下の2つは到底そのように思うことは出来ませんでした。

    特に人の物を盗ってはいけないというのは宇宙の法則からは程遠い観念です。

    結論から言えば、宇宙の法則には所有という概念がないはずだからです。

    元々誰かの所有物という概念は無く、ありとあらゆる物、または精神が宇宙そのものでありその所有者は誰の物でもありません。

    誰の物でも無いので盗るという概念もそもそもありません。

    我々は個でありながら、全体で一つなのだと思います。

    宇宙の法則に沿った宇宙的観念よりもこの人間社会の中で植え込まれた観念の方が圧倒的に多いと感じます。

    そしてその人間社会で生まれた観念は言い換えれば戒律そのものであり、精神性、人間性の自由を奪います。

    人は常に何かに縛り付けられながら生きています。

    例えば大半の人はお金、食事など、その為には働いてお金を稼ぐ。

    何故それらが必要なのか真剣に考えたことはあるでしょうか。

    ほとんどの人がノーと言うでしょう。

    これは人間社会で植えつけられた常識的観念としてあなたの頭の中にこびり付いているからです。

    だから考えるまでも無く当たり前の事としているのでそれらについて真剣に考えることはしません。

    人は食事を摂らないと生きてはいけないというのも人間社会で学んだ観念だと思います。

    実際に食べ物も水分も摂らなくて何十年も生きている人はいます。

    しかも健康体そのものです。

    そのエネルギー源は宇宙です。

    太陽光であったり地球内の大気であったりまたは自分自身であったり。

    人間の身体とはすごいもので、足りない物は自分自身で生産し補い多すぎたものは排出するようになっています。

    では何故食事も水も摂らなくても生きていけるのに人には胃や腸が付いているのか。

    ここが大事な所なのでしょう。

    それは恐らく宇宙の意思によって付けられたものではないと思います。

    そうすると第三者の手によって付けられたものということになりますね。

    これ以上は真実はわからないので言いません。

    しかしそう考えるのが自然です。

    人の遺伝子組み換えなど容易な事でしょう。



    僕が思うのは、○○をしないと生きていけないなど、○○をしないと、ということは存在しないと思っています。

    それらは人間社会で学んだ観念であり、真実とは程遠いものです。

    万物は常に自由であるはずで苦悩も苦痛も存在するはずがないのです。

    存在する唯一の真実は愛の光だけです。

    成長するために苦悩は必要だと言う人もいます。

    しかし僕にはそうは思えません。

    何故成長するために苦悩が必要なのでしょうか。

    何故何かを得るには頑張らなくてはいけないのでしょうか。

    これも植え込まれた観念だと僕は思います。

    子供の頃よく大人に言われました。

    時には我慢も必要だとか、何かを得たかったら頑張りなさいと。

    しかし、何故そうしなければいけないのかは誰も教えてくれません。

    答えるとすれば、「そういうものだから」です。

    こうやって子供の頃からずっと教えられ、それを当たり前の教訓として生きていきます。

    僕の子供の時の話ですが、子供とは本当に純粋なもので、僕は子供の頃大人はみんな正しい人でまっとうで立派な人だと思っていました。

    そしてもし大人の言う事や友達の言う事が僕の考えと違うと、自分が間違っているんだなと思い修正しようとしました。

    しかしどうしてもそれは出来ませんでした。

    自分の考えが理解されないと始めは抵抗します。そして理解されない事に気付くと今度は合わせようとします。
    そうすると今度は疲れてそこから離れようとします。

    そこで学校社会から外れました。

    当時はそんな解釈は出来ていませんでしたが今はなんとなく分ります。

    今は自分は間違っていなかったと自負しています。

    あれから10年以上経ってそんな当時の僕のような子供たちがもっと増えて来ました。

    彼らは本当の宇宙的観念を潜在意識レベルで知っています。

    それらは真実そのものなので僕たち大人が人間社会で作ってきた観念を植え付けても彼らを苦しめるだけです。

    彼らは確かに年齢ではずっと下ですが、精神性は僕たちよりもずっと上です。

    僕たちよりももっと多くの経験を前世などで学んでいます。

    大人は何かを教えるのではなく、子供たちに教えてもらうべきです。

    この関係性がおかしいと思ったのならそれも間違った常識的観念から来るものです。

    その観念は、人には永遠の連続性はなく、肉体の死はその人自身の死であると思っているので、人生の後輩であるまだ何も知らない子供たちに教えてもらうのはおかしいといったような事です。

    しかし真実は人は永遠に連続性があり消えることはありません。肉体の死は肉体の死でありその人自身の死ではありません。

    肉体は確かに大事な物ですが、車の様なものです。

    我々は古くなったり使えなくなってしまった車を廃車にします。

    しかし車を廃車にするだけでそれを運転していた人までも廃棄するわけではありません。

    それと同じような事が人にも起きています。

    ですから肉体自体は後輩であったとしてもそれを動かしている霊魂のようなその人自身は後輩ではないかもしれません。

    少なくとも宇宙的観念を潜在意識レベルで知っていて、間違った観念だらけの社会に上手く馴染めず篭ってしまう子供は先輩です。

    まぁ基本的には後に生まれてくる子供の方が霊性は高いです。

    少し話が二転三転しましたが、伝えたいことは、

    今一度このような洗脳の末生まれた観念を、頭ではなく、柔軟な自然のままの感性で考えて改めてみてほしいと思います。

    そうしたら最後には宇宙的観念=真実しか残らなくなるはずで、もっと自然に楽しく生きていけると思います。


    それと私事ですが、4月2日に川越に映画を見に行って来ます。
    川越に行くと行っても川越に住んでいるのですぐ隣ですが。
    まだ空席があるようなので急ではありますが是非参加してみてはどうでしょうか。
    詳細はこちらです。

    「祈り〜サムシンググレートとの対話」 自主上映 in 川越スカラ座 
    <イベント詳細>

    ● 日時
    2013年4月2日(火)

    一部 13:00開場
       14:00開演

    二部 17:30開場
       18:00開演

    ● チケット
    前売り券 ¥2500
    当日券  ¥2800

    お申込はこちら

    ● 場所 
    川越スカラ座
    (埼玉県川越市元町1−1−1)




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